大学案内

希少難病・ヤコブ病を抑制する治験薬の開発に挑む。

ヤコブ病の原因となるタンパク質の異常変化を抑制。
将来はがんや糖尿病など様々な病気の治療薬の開発へ。

神経内科に抱いた違和感から 臨床を離れて物理学の道へ。

 岐阜大学の医学部医学科で学んでいた私は,卒業後,脳のメカニズムに興味を持っていたことから神経内科の医師を志そうと考えていました。ただ,当時,国内には九州大学病院にしか神経内科がありませんでした。そこで医学部の6年生の時,九州大学で診断をさせてもらう機会を得たのですが,その頃はまだ脳の病気の治療法が確立されておらず,病名を診断し終えると,患者さんは病気が治らないまま退院するだけ。そんな実情を知り,医学への失望感を覚えた私は,高校時代に興味を持っていた量子力学を学び直そうと決意。臨床へ進むのではなく,名古屋大学理学部で,物理学と現代数学の基礎を勉強することにしたのです。
 その後,アメリカのカリフォルニア大学に留学し,分子の構造を原子レベルで解析できるNMR(核磁気共鳴)という装置を使った計算に没頭する日々を送ることになります。「医学からだいぶ離れた世界に来てしまったな」。そんな風に考えていたところ,同じ大学に所属し,のちにノーベル生理学・医学賞を受賞するスタンリー・ベン・プルシナー先生の研究室から,脳の神経細胞に存在するプリオンというタンパク質をNMRで計測してくれないかと依頼があったのです。これを転機に,私はプリオンの構造を原子分解能で解析する研究を開始することになりました。


総重量10トンに及ぶNMR( 核磁気共鳴) 装置。
800MHzと600MHzの2 基を導入しており,タンパク質の
立体構造を原子レベルで測定できる。

プリオンの立体構造から 異常変換を防ぐ化合物を開発。

 プリオンというタンパク質は,100万人に1人の割合で発症する希少難病「クロイツフェルト・ヤコブ病」(以下・ヤコブ病)や,牛海線状脳症(BSE)などに代表されるプリオン病という神経疾患の発症原因となるものです。プリオン病は,がんやエイズよりも重篤な疾患で,進行性痴呆や視力障害,めまいなどの初期症状が見られ,その後,発病から約1年2カ月で死に至ります。現在,治療法は確立されておらず,一刻も早い治療薬の開発が求められています。
 プリオンは,何らかの原因で正常構造から異常構造へと壊れると,強い毒性を帯び,この毒が神経細胞を殺してしまうことで病気が発症します。NMRでプリオンの構造を調べていた私は,研究を進めるうちに,どこが壊れて異常構造に変化するのかを突き止め,さらに一番初めに壊れ始める部分がどこなのかを明らかにすることに成功したのです。ちょうどその頃は,タンパク質の立体構造を研究する構造生物学が注目を集め始めていて,NMRでタンパク質の構造を解析した論文が数多く出されていたのですが,どれも構造を解析することだけに終始していました。そこで私は,解析で明らかになった立体構造をもとに,プリオンの表面のくぼみにはまりこむことで,異常構造への変換を防ぎ,治療に役立つ化合物を開発しようと思い立ったのです。

 希少難病「クロイツフェルト・ヤコブ病」とは
  • 異常なプリオンタンパク質が脳の神経細胞を破壊して起こる。
  • 大部分は40歳以上で発症し,平均発症年齢は65歳前後。
  • 初期には進行性痴呆,視力障害,めまいなどの症状が見られる。
  • プリオン病全体の約8割を占め,発症割合は100万人に1人。
  • 現在,治療法が確立されておらず,発症から約1年で死に至る。

タンパク質のプリオンが正常構造から異常構造に変化すると,プリオンの一部が2つ
に分離してヤコブ病を引き起こす。そこで桑田シニア教授が開発したのが,有機化合
物の「メディカルシャペロン」である。これが正常構造の表面のくぼみにはまり,ジョ
イントの役割を担うことで,正常構造を安定化させ,異常構造に変化するのを防ぐ。


 プリオンというタンパク質の表面には,たくさんの凹凸があります。NMRの構造解析をもとに,凹凸に合致する分子を計算機に作らせてシミュレーションしたところ,異常構造への変換の原因となる壊れやすい部分にぴったりとはまり,筋交いのように補強の役割を果たすものを発見しました。そこで,この分子を実際に有機合成し,プリオン病に感染したマウスに投与してみると,確かな寿命の延長が見られたのです。そして,平成19年に治験薬として正式に開発し,「メディカルシャペロン」と命名しました。現在はマウスだけでなくサルに投与する実験を進めており,近いうちにヒトでの治験を開始させ,一刻も早く難病で苦しむ患者さんに届けたいと考えています。平成27年3月には,大学として初となる,治験薬を製造できる点滴薬製造設備を導入し,平成29年3月にも開始予定の世界初のヤコブ病に特化した新薬の治験に向けて,着々と準備を進めています。

神経変性疾患だけでなく がんや糖尿病の治療薬にも応用。

 私が取り組んでいるのは,「論理的創薬」という概念に基づいた治療薬の開発です。従来の薬の開発は,主に経験則に基づいて,膨大な数の化合物を用意し,そこから最適なものを選び出すという作業が必要でした。一方,論理的創薬の手法を使えば,タンパク質の立体構造から最適な分子を計算によって割り出し,天然には存在しない有効な化合物を,効率的かつ意図的に設計することが可能となります。

 プリオン病は,数千もの遺伝子が複雑に関与するがんなどとは違い,プリオンというタンパク質のみが関与し,比較的簡単なメカニズムで発症します。そのため,他の病気に比べると制御がしやすく,治療薬を開発するのに適した病気だと言えます。また,最近では,アルツハイマー病を引き起こすタンパク質が,最終的にプリオンを介して脳の神経細胞を破壊していることが分かってきました。プリオンの破壊を制御することは,プリオン病だけでなく,アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経変性疾患全般の治療にも大きな進展をもたらす可能性を秘めています。

 また,この研究を応用し,タンパク質の数を10個,100個,1000個と増やしていくことはそれほど難しくありません。将来的には,膨大な数のタンパク質が関与するがんやアルツハイマー病などの病気も,きっと制御できるようになる日がくると確信しています。
 ただ,私が希少難病であるプリオン病の治療薬の開発に熱心に取り組むのは,製薬メーカーが絶対に手を出さないからです。現在,ひとつの薬を開発するのに500億円かかると言われています。100万人に1人の患者さんのために,これだけの開発費を投じることは民間企業では到底できません。プリオン病の治療薬は,公的機関である大学が治験薬を提供しなければ,永久に生まれてこないのです。これからも大学が果たすべき使命として,難病で苦しむ患者さんたちを救う治療薬の開発に力を尽くしていきたいと思っています。


(左写真)平成27年に国内の大学で初となる点滴薬製造設備を導入。高温・高圧下で数十種類の有機化合物を合成して製薬できる
設備で,大学として世界で初めてGMP(Good Manufacturing Practice,医薬品等の製造品質管理基準)に準拠した製造環境を
整備し,無菌状態の設備内で分包ができるのが特徴だ。
点滴薬製造設備や無菌調整のためのアイソレータ(右写真)の導入により,ヤコブ病の進行を抑制する治験薬を大学内で製造する
ことが可能に。当面,治験薬の製造は製薬会社に委託するが,将来的には医薬品の製造許可を申請予定。製薬メーカーではコス
ト面から創薬が難しい希少難病の薬の開発を進めていく考えだ。

先頭に戻る

研究に携わる大学院生たち

原子間力顕微鏡などを用い,
原子分解能で構造を詳しく調べ,
生命現象を解き明かしていけるのが面白い。

 私は元々岐阜大学の医学部医学科出身で,2年生から3年生にかけて行われた研究室配属の際,桑田教授の研究室に出合いました。高校時代から物理や数学が大好きだったのですが,医学科では物理的な発想で物事を考える機会が少なく,分子の動きから生命を捉えてみたいと考え,桑田教授の下で研究を続けています。

 最初は関節リウマチの治療薬を研究していましたが,その後,桑田教授の勧めもあって本格的にプリオン病の研究を開始。現在は,原子間力顕微鏡やNMRなどを使ってプリオンの原子の構造を調べており,成果も着実に上がってきています。

 私が興味を持っているのは,生命のメカニズムを,分子の動きや構造の変化からどれだけ説明できるかです。
プリオンの研究を通じて,生命現象の仕組みが徐々に解き明かされていくのがとても面白いです。


アルツハイマー病の治療法の研究を通じて,
神経変性疾患の根本原因を詳しく理解したい。

 私は昨年まで滋賀医科大学の大学院で学び,長期入院が多い精神科の患者さんをいかに社会復帰させていくかについて研究していました。ただ,現役の看護師として精神科の病院で勤務するうちに,アルツハイマー病などの神経変性疾患の根本原因に興味を抱き,桑田教授の下で研究してはどうかという勧めもあって,岐阜大学で学ぶことを決めました。

 神経変性疾患は,その発症にプリオンが密接な関わりを持っています。そこで,桑田教授が開発したメディカルシャペロンをアルツハイマー病の治療に応用できればと考え,まずはアルツハイマー病のマウスを増やし,正常マウスとの違いをテストするところから研究を進めています。 将来的には,神経変性疾患を深く理解したうえで,大学の教員として精神科の看護の楽しさを伝えられる存在になれたらと思います。

先頭に戻る

用語解説

Q. そもそもタンパク質とは?

A. 約20種類のアミノ酸が鎖状につながったポリペプチドからなる高分子化合物のこと。筋肉や臓器,皮膚,毛髪,血液など,人の体の大部分を構成する主な成分です。成人の体の中にはおよそ10㎏のタンパク質があり,約10万種類のタンパク質がさまざまな機能を果たしています。

Q. プリオンとはどんなもの?

A. 生物の体の中にあるタンパク質の一種で,感染性のないものを正常型プリオン,感染性のあるものを異常型プリオンに分けています。異常型プリオンは,遺伝子を持たない特殊な病原体で,牛海綿状脳症(BSE・狂牛病),ヒツジやヤギのスクレイピー,ヒトのヤ コブ病などの感染因子となります。

Q. 神経変性疾患とは?

A. 脳や脊髄の中にある神経細胞の中で,認知機能や運動機能などを司る特定の神経細胞群が徐々に死んでいく疾患のこと。主な疾患にパーキンソン病,アルツハイマー病,筋萎縮性側索硬化症(ALS)などがあり,高齢者に発症しやすい傾向がありますが,その原因はまだ詳しく解明されていません。

アイコンの詳細説明

  • 内部リンク
  • 独自サイト
  • 外部リンク
  • ファイルリンク