大学案内

先輩の声 volume 06

杉山すぎやま 幹夫みきお氏 PROFILE

株式会社岐阜新聞社 最高顧問。1927年岐阜県笠松町生まれ。1950年岐阜農林専門学校卒業。その後、岐阜新聞の前身となる岐阜タイムズに入社し、1971年、(株)岐阜日日新聞社と(株)岐阜放送の代表取締役社長に就任。岐阜新聞社名誉会長を経て、2018年より同社最高顧問となる。2016年には公益財団法人 岐阜杉山記念財団を設立し、奨学金給付による学生の支援を行っている。

岐阜農林専門学校(現:岐阜大学)硬式野球部でキャプテンを務める
岐阜県人ブラジル移住70年祭の特別取材車「アンデス・レインボー号」出発式(サンパウロ市1983年)
全国赤十字大会にて岐阜県赤十字有功会副会長として皇后様(当時)をお見送り(2009年)

小栗おぐり 達弘みちひろ氏 PROFILE

株式会社岐阜造園 代表取締役会長。1944年岐阜市生まれ。1968年岐阜大学農学部農芸化学科卒業。千葉大学園芸学部造園科を経て、家業である岐阜造園に入社。2005年社長、2020年より現職。2022年に造園業では先駆けとなる東証スタンダード上場を果たし、2023年には「出る杭を伸ばす」ことを目的に、私財を投じ起業家支援団体(一財)岐阜ビジネスフューチャーズを設立。

東京証券取引所スタンダード市場に上場
大阪・関西万博のランドスケープ構築に貢献
(一財)岐阜ビジネスフューチャーズ代表理事として岐阜の若き経営者・起業家を支援

岐阜大学での学びを基盤に会社経営で社会に貢献する新たな人材の登場に期待。

勉学や野球に励んだ思い出深い学生時代。

学長
ご存じのように岐阜大学と名古屋大学は、2020年に全国の国立大学で初めて経営統合を行い、東海国立大学機構となりました。以来、新たな時代に向けた研究力強化と地域繁栄への寄与を目指し、自治体や地域の産業界との連携を含めた大学の活性化を図っています。私が学長に就任した2022年には、Migration(ミグレーション)、Laboratory(ラボラトリー)、I nnovati on(イノベーション)、Education(エデュケーション)の頭文字を組み合わせた 「ぎふのミ・ラ・イ・エ」構想を掲げ、「研究力の強化により、新しい産業や企業を地域に誘致してイノベーションを起こすことで、人口が増加し、教育レベルがさらに向上する」という好循環を目指しています。その構想の中で、岐阜大学の学生が起業やスタートアップを目指し、地域のみならず世界に羽ばたいてもらいたいとの考えを表明しています。そこで今回、岐阜大学出身の先輩方の中でも、特に企業経営において成功されたお二人から後輩たちにエールを送っていただきたいと、お集まりいただきました。まず、お二人がどんな学生時代を過ごされたかを伺いたいと思います。
杉山最高顧問
私が旧制中学を卒業したのは、戦後の極端な食料不足真っただ中の時代でした。本当は東京の大学に行きたかったんです。ところが今では考えられないことですが、石炭不足で鉄道も満足に運行できませんでした。それで岐阜大学農学部(現:応用生物科学部)の前身である岐阜農林専門学校に入学し、1950年3月に卒業しました。
学長
岐阜農林を選ばれたのはなぜですか?
杉山最高顧問
実家が味噌と醤油の醸造業で、当時、岐阜農林には農産製造科という学科があったんですよ。
小栗会長
私は農産製造科の後継である農芸化学科を1968年に卒業しました。家業は造園会社でしたが、子どもの頃から、職人さんのはんてんと地下足袋の姿が格好良く思えなくてね。家業は継ぐまいと大学では食品化学を学びました。農芸化学科は優秀で就職先もいいと聞いていましたが、実際、優秀な人が多かったですね。
学長
現在でも岐阜大学の農学分野は、中部地区の中でも高いステータスがあると思っています。静岡大学との連合による大学院連合農学研究科や、さらにはジョイント・ディグリープログラム「岐阜大学・インド工科大学グワハティ校国際連携食品科学技術専攻」といった、地域にとどまらない連携にも力を入れています。ところで、学生時代の思い出というと何が印象に残っていますか。
杉山最高顧問
私も塾講師や家庭教師を中心にアルバイトをしていて、休日には大量の仕事を詰め込み、稼いだお金で海外旅行を繰り返していました。タイやカンボジア、モロッコ、トルコなど、さまざまな国を巡り、異文化に触れることで視野が広がったと思います。中でもカナダにはワーキングホリデー制度を利用して1年間滞在しました。この経験を通じて語学力だけでなく、海外のどこにでも一人で行ける自信が付きました。
小栗会長
当時は卒業年次になると1か月間にもわたる毎日2教科の実力試験があったんです。国家公務員一種の受験勉強と、希望の就職先にエントリーできる成績順位決めを兼ねていました。そのために毎晩、夜中の2時か3時まで高校受験並みに気の遠くなるような勉強をしました。おかげで忍耐力が身に付き、卒業してからの大きな力になりましたね。
杉山最高顧問
私の思い出は野球ですね。当時、岐阜県内では岐阜農林と、岐阜薬科大学の前身である岐阜薬学専門学校が強豪校でした。私もあちこちの中学へスカウトに行っては、岐阜農林へ入学してもらう約束を取り付けたものです。それが、入学式の前になると薬専に寝返ってしまった。だから薬専は手強かったですね。でもね、いちばん華やかな思い出は、1949年11月の学校祭で、大きなみこしを作ったことです。
学長
現在の応用生物科学部の創立100周年記念行事の際にその写真を見ましたが、ものすごい活気の中、市内全域を練り歩いて、最後に長良川の河川敷で盛大に燃やしたと聞きました。OBの方は皆さん、楽しかったとおっしゃっています。
杉山最高顧問
それからもう一つ大きな出来事がありました。在学当時、まだ農学部の無かった名古屋大学から統合の誘いがあったんです。学生の大半からはそれでいいという声が上がっていた。ところがある日、当時の知事、武藤嘉門氏が学校に乗り込んで来て全員が講堂に集められ、「将来はこの岐阜農林を中心に、工専や医専、高等師範とで岐阜大学とするんだ!」と熱弁を振るったんです。みんなシーンとなって聞き入りましたよ。
学長
1949年には国立岐阜大学となりましたが、武藤嘉門氏が「将来は岐阜大学が学問の中心として岐阜の発展に寄与する」との構想を持たれたからこそ、今があるのですね。

交友の中で培われた人間力や地域への想いが経営の礎に。

学長
卒業後、小栗さんは家業を継がれましたね。
小栗会長
先生からは大手食品メーカーへの推薦を約束してもらったんですよ。父に話すと、口では「よかったな」と言うものの、見ると寂しそうな顔をしている。就職担当の先生に相談すると、「それは継がなきゃいかん」と。結局、食品メーカーへの就職を諦め、千葉大学園芸学部造園学科で1年学んで家業に入りました。
学長
杉山最高顧問の場合は、新聞社に入られたのは、どのようなきっかけでしたか。
杉山最高顧問
義父が、当時、経営の傾いていた岐阜タイムズの会社整理をする弁護士だったんです。ところが内情を知るにつれて、真剣に経営に取り組めば立て直せるいい会社だと分かって再建に取り組むこととなり、そこへ入社しました 。
学長
その後、お二人はそれぞれ会社を発展させてこられましたが、秘訣は何でしょうか?
小栗会長
そういう話になるとビジネスモデル云々と言われがちですが、私の場合は、厳しかった岐阜大学の卒論のおかげですね。研究の目的や背景を考え、実験データを集めて、考察をして結論を出すという、一連のPDCAを回しますよね。商売でお客様にエビデンスを示して証明する際にも、同じやり方が有効でした。それから、大学生活では同級生の仲間と、境遇に関係なく一緒に勉学や遊びに励み、切磋琢磨しました。大学寮の学生とは、詰め襟の学生服にどてらを羽織った田舎スタイルで一緒に過ごし意気投合しました。卒業生の先輩方からも岐阜大学の歴史や魂、生き方のようなものも教えてもらいました。先生方とも当時まだ珍しかった私の車で運転を教えたり、ビアガーデンで一緒に飲み食いしたりしたものです。本当に家庭的な雰囲気で心を通じ合わせて身に付いた、信頼関係を築く力やリーダーシップが、商売の上でも大きな力となっています。
学長
岐阜大学での4年間で、学問を通じた思考プロセスに加え、人間性を確立し、さらには人間関係が養われ、それらがまさにビジネスの礎になっているわけですね。
杉山最高顧問
私はやはり岐阜新聞を県内の人々に読んでもらいたい、岐阜県をどうしていくのがいいかを発信することこそが我々の使命だという想いで、微力ながら試行錯誤したことが発展につながったと思います。これからも生涯をそれに尽くしたいと思います。 我ながら地域に対して良いことができたと思うことが一つありましてね。岐阜県出身のブラジル1世・2世の人たちと交流する中で、「今、何が一番欲しいですか?」と聞いたんです。すると、「土地も手に入れ十分食べていけるが、死ぬまでに一度でいいから子ども時代に見た岐阜の花火が見たい」と、長い歴史を持つ岐阜の花火大会を懐かしむ声が上がりました。それで、ブラジルのサンパウロ大学で花火を2回打ち上げたんです。1993年のことです。

同窓生のつながりで、岐阜県経済のさらなる発展を。

小栗会長
杉山最高顧問が岐阜の一つのシンボルともいえる岐阜新聞を助けられて、ある意味ではその岐阜新聞とともに戦後の岐阜経済は育ってきたんですよ。私自身も1990年頃までのバブル期には、ゴルフ場の建設計画を聞きつけると杉山最高顧問に電話をして、ずいぶん受注を後押ししてもらったものです。
学長
昭和の岐阜を岐阜新聞がベースとなって発展させ、なおかつその発展を世間に伝える役割をしっかり果たしてこられたというのは、同じ岐阜大学の者として誇らしいです。ましてや先輩と後輩の仲から経済をどんどん発展させてこられたとお聞きすると、非常にうれしくなります。
杉山最高顧問
学長、我々の時代の岐阜大学の欠点を強いて言えば、岐阜農林の3年間、あれほど親兄弟以上の付き合いをした同級生との関係が、卒業したら終わってしまったんです。卒業式以来、二度と会っていない人がけっこうおります。全国へ散った人たちが岐阜へ帰ってくるような機会が、本当はもう少しあってもいいかなと思うんですよ。
学長
それは寂しいですね。当時、同窓会はなかったのでしょうか。
杉山最高顧問
一時期はありました。ところが日本が高度経済成長期に入ると、東京オリンピックや新幹線開通など、戦前並みかそれ以上の活況になっていきました。そんな時代ということもあって、地元に残る人が少なかったのかとも思いますが、同窓会というのはなかったように思います。
学長
卒業生の皆さんが全国各地でご活躍されているという理由も大きいかもしれませんね。現在では各学部の同窓会と、それを連合する同窓会連合会というものがあります。加えて2年前には、ステークホルダー、例えば学生の保護者や先生方、事務職員など、岐阜大学に関係する人や、岐阜大学を応援してくれる人の集まりである校友会というものもできたところです。大学としても、つながりを保てるよう力を入れております。

在学中から社会とつながり、異なる価値観にふれてほしい。

学長
今の学生に対して、もっと勉強した方がいい、あるいは遊んだ方がいいなど、お二人からメッセージやアドバイスをいただけますか?
小栗会長
インターンシップやアルバイト、地域活動などで、学内外の人と多く関わって、自分は将来何がやりたいかをしっかり考えてもらうと良いと思いますね。在学中に社会とつながる経験をしてほしいです。
学長
そのお考えは、どのようなところから来ているのですか?
小栗会長
当社は2016年に日本で造園専業として初めて上場を果たしましたが、上場審査に通った後、ロードショーといって、東京の機関投資家の皆さんに向けて何度も何度も自社のビジョンや強みを説明する機会があったんです。株式の初値が決まる重要な場です。当時の私は技術力こそが当社の強みと信じていましたから、そこでの投資家の皆さんの関心が、デジタル、ブランディング、マーケティングといった文系的価値創造に関するものばかりで驚きました。岐阜のような地方にいるからこそ、現場のリアルな価値創造に出会える。でも、それを社会に届けるには「伝える技術=ブランディング」「仕組みにする技術=マーケティング」「スピードの技術=データ力」、そして他社や海外とも連携するオープンイノベーション手法が必要なのだと気づきました。そうした力を獲得するためにも、学生の皆さんには異質な世界に飛び込んで、自分とは考えや価値観の異なる人と出会い、対話してみてほしいんです。
杉山最高顧問
私からも学生の皆さんに一言。文武両道で活力ある学生生活を送ってもらいたい。今年度の大会で野球部が全敗なのは寂しいですね。例えば東大は年に1、2勝はしています。とにかくまず1勝をお願いします!

岐阜大学出身経営者の会を発足し、起業に挑戦する学生を支援。

学長
お二人には、2025年10月に発足した「岐阜大学経営者の会」において会長と副会長にご就任いただきましたが、今後に向けたお考えや期待をお願いできますか。
杉山最高顧問
岐阜大学は全国規模の上場企業の経営者を何人も輩出していますが、岐阜の経済界に残ってくれる人が少ないのが寂しいですね。岐阜大学での学びを基盤に会社経営で地域貢献なさる方が、1人、2人と出てきてもらえることを望んでおります。岐阜大学を愛しております。
小栗会長
我々のように理系学部で実験に一生懸命取り組むことも大切ですが、ビジネスを立ち上げ成長させるには、文系の学問も必要です。大学としても、ぜひ「現場を超えた学びの場」を増やしてもらいたいですし、経営者の会でも学生の皆さんに学びの場を提供すべく、具体案をいくつか考えています。例えば岐阜大学卒の経営者や官僚、研究者など多分野の先輩との定期対話会。スタートアップ体験型ゼミやビジネス創発ゼミ。あるいは岐阜の伝統工芸を海外市場に向けて売るブランディングやマーケティングを体験的に学ぶ、インターンと地域プロジェクトのハイブリッド。地域企業と組めばある程度予算も確保でき、企業にも喜ばれるのではないでしょうか。
学長
岐阜大学には中部地区で最初に設立された起業部があり、ForbesJAPANが選ぶ日本発「世界を変える30歳未満」 に選ばれた学生起業家も出ています。彼らのサクセストーリーを、ぜひ経営者の会の皆さんの間でもシェアしていただいて、将来彼らのような若い人材が岐阜あるいは日本のビジネスの中心で活躍できるよう、お二方が先頭に立って人材育成の場を作りご支援いただければと、学長として期待しております。本日はありがとうございました。

「岐阜大学経営者の会」を発足しました!

本学の卒業生は、さまざまな業界で活躍しており、従前よりそのネットワークを活用したいというご要望を多くいただいておりました。こうした背景を踏まえ、このたび「岐阜大学経営者の会」を設立いたしました。

2025年10月4日には設立総会を開催し、多くの卒業生が一堂に会しました。会は盛況のうちに幕を閉じ、卒業生ネットワークの重要性を再認識する機会となりました。

今後は、卒業生同士の交流を深めるとともに、学生や留学生との関わりを促進しながら、大学との産学連携を推進し、地域の人材育成や経済発展に貢献していきます。