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先輩の声 volume 02

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大きな成功の裏には
膨大な数の失敗がある。
失敗より挑戦しないことを
恐れてほしい。



アステラス製薬株式会社 元代表取締役会長
1964年 農学部獣医学科卒業

竹中 登一とういち さん


PROFILE
愛知県刈谷市出身。岐阜大学農学部獣医学科を卒業後、山之内製薬株式会社(現:アステラス製薬株式会社)へ入社。高血圧治療薬などの創薬に成功した実績やリーダーシップが評価され、要職を歴任。同社退職後は岐阜大学高等研究院One Medicineトランスレーショナル・リサーチ・センターの顧問に就任し、創薬経験を伝えるなど、岐阜県の生命科学産業の発展に力を注ぐ。

夏休みを本巣の祖父宅で過ごし、そこで生物が好きになった

 生まれは愛知県刈谷市ですが、戦後の食糧難時代だったこともあり、小さい頃は夏休みに本巣郡糸貫村にある祖父の家で過ごしました。中学生の頃に名和昆虫博物館で昆虫採集やギフチョウの飼育を教わって生物学に興味を持ち、高校では生物クラブに所属。物理や化学は苦手でしたが、生物は面白かったので、大学では理学部の基礎生物系を志望していました。
 しかし、トヨタ系の企業に勤めていた父は、私の将来を案じて就職先の多い工学部に進めと大反対。悩んでいると、農協にいた叔父が「獣医学科ならお前が好きな分野に近い応用生物学が学べるし、獣医師の資格を取れば就職も安泰だ」と間に入って父を説得してくれ、岐阜大学農学部獣医学科に進学することになったのです。

仲間と野球に打ち込むなかで、チームワークの本質に触れる

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 入学した昭和35年は安保闘争の真っただ中。全国でデモが行われており、長良校舎で行われていた教養の授業もほとんど休講でした。途方に暮れていると、グランドで準硬式野球部に勧誘され、中学生の頃に野球に打ち込んでいたこともあって入部。指導者もいないため、自分たちで工夫して練習したり、お互いにアドバイスをしたりするなかで、チームワークの本質を自然と学ぶことができました。
 また、当時の獣医学科は4年制のため、専門教育の講義や実習でとても忙しかったですが、基礎研究がとても面白く充実していました。そして、4年次に葛野先生と岡田先生の生理・薬理学研究室に所属。ニワトリの平滑筋における交感神経受容体の研究を通して薬理学に興味を持ち、進路は製薬会社を考えるように。先輩が山之内製薬株式会社の研究所で活躍されていた縁もあり、葛野先生の推薦で就職が決まりました。

自由闊達な雰囲気のなかで個性を発揮し、創薬研究に邁進

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山之内製薬入社時の写真。
研究職として毎日創薬に打ち込んだ。

 昭和36年に国民皆保険制度が始まり、医薬品の売り上げが爆発的に伸びた影響で、製薬業界は急成長。私が就職した頃の山之内製薬は業界8位の中型製薬企業でしたが、将来への投資として大きな研究所を新設し、全国から大量に学生を採用。私が配属された新しい研究所は、半数が同期入社だったこともあり、自由闊達な雰囲気で伸び伸びと仕事ができる恵まれた環境でした。そして、入社早々に高血圧治療薬の開発プロジェクトがスタート。大学で循環器と平滑筋の実験をしていた経験を買われ、私に声が掛かりました。それから3年間、毎日実験を繰り返した結果、血圧を下げ、血流を増やす化合物の生成に成功。その後も、排尿障害治療薬などを創薬し、会社の発展に貢献した実績が認められ、平成5年に取締役研究本部長、平成12年に社長に就任しました。
 経営者となって役に立ったのは、準硬式野球部で学んだチームワーク。あの頃のように、各自が創意工夫し、活発な意見を交わすチームをつくることがリーダーシップと考え、環境を整えました。その後、平成17年に山之内製薬は藤沢薬品工業と合併し、アステラス製薬となる際も、両社の強みを生かして、シナジーを生むことを第一に考えて交渉を進めました。

学生時代の失敗の数が、社会に出てからの成功の数になる

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ハルナール(泌尿器薬)を創薬した功
績が認められ、平成12年に紫綬 褒章を
受章。

 これからは理系文系問わず、AIを含めたITの知識と英語力が必須。私は英語の論文がなかなか読めず苦労しましたが、社会人になってから週3回英語学校に通い、ビジネスの現場で実践するなかで、海外の経営者とも英語で交渉できるようになりました。ぜひ、学生のうちにビジネスレベルの英語力を身に付け、将来の選択肢を広げてほしいです。
 そして、講義や実習で知識を得るだけでなく、強い好奇心と鋭い観察力を養うことが肝心。創造性は豊かな感性からしか生まれません。また、部活動やサークルなどでチームワークを身に付け、心を通わせられる本当の仲間ができるとより良いと思います。青春をともに過ごした準硬式野球部のチームメートは、今でも定期的に会う一生の友になりました。
 昨今の学生は大企業志向が強いと聞きますが、規模よりも、創造性を尊重し、挑戦が許容される企業風土を重視すべきだと思います。なぜなら、若いうちにすべきことは失敗だからです。創薬の成功確率が3万分の1といわれるように、私は数えきれないほど失敗を重ねています。経営者になってから大きな失敗をして会社の株価が大幅に下がったこともありました。しかし、失敗から学び、自らを改めることが成長につながり、成功の確率を高めますし、早く失敗すれば、それだけ早く取り返せる。スピード感を持って挑戦を続けることが成功の秘訣だと、多くの失敗を通して私はやっと学んだのです。

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