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肺の血管内皮上にあるグリコカリックス。その3次元構造を、世界で初めて撮影。

※掲載内容(役職名,学年など)は取材時のものです。(現在と内容が異なる場合があります。)

極めて難しい肺の血管内皮上のグリコカリックスの撮影に挑戦。

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 医学部の学生は2年次から3年次の4月にかけて,希望する研究室で医学研究や実習を行います。そこで私が選んだのが高次救命治療センターでした。所属メンバーが多く刺激が受けられそうという理由からでしたが,先生が与えてくれるテーマに取り組む中で,研究への関心がどんどん深まっていきました。履修期間の終了後も講義や部活動とのバランスを取りながら研究を続け,自分で明らかにしたいと思うテーマに出会いました。それが,「肺の血管内皮上にあるグリコカリックスの3次元構造の解明」です。
 グリコカリックスとは,血管内皮を覆う極めて薄い層のこと。救急の現場で深刻な病態の一つである「敗血症」の患者の体内では,細菌を排除するために免疫細胞である白血球(好中球)が微小なタンパク質を過剰に放出します。その結果,グリコカリックスが剥がれてしまうと考えられています。
 グリコカリックスには,血液中の液体成分が血管外に漏れ出すのを防ぐと同時に,血液のスムーズな流れを助ける役割があります。それが剥がれると,血管の微小な穴から外側へと血液中の液体成分が漏れ出します。肺でこの現象が起きると,肺胞が"水浸し"になり,溺れたような状態になります。この状態はARDS(急性呼吸窮迫症候群)と呼ばれ,死に至ることも少なくありません。現在,ARDSへの対処法は,水浸しの肺胞に強引に空気を入れるか,抗菌剤を投与するといった対症療法のみです。根本的な治療法を確立するには,肺の血管内皮上にあるグリコカリックスの構造を視覚的に明らかにすることが必要でした。そこで私は電子顕微鏡での撮影に挑んだのです。


諦めずに実験を重ね、今後の医学の発展につながる鮮明な画像を得ることに成功。

【用語解説】
グリコカリックス
血管の内側の組織である血管内皮を覆う、多糖
類や糖タンパクからなる層。生魚の表面のぬめ
りに似た形態で、これにより直径が狭い毛細血
管でも血液をスムーズに運搬できる。

CHEST
胸部専門の医学雑誌。多くの医学関係者が信頼
を寄せ、掲載論文の引用数を示すインパクト
ファクター(IF)は.652(平成29年現在)に
上る。掲載は医師でも難易度が高いとされる。

敗血症
御反応により、肺や心臓、腎臓などの臓器が障
害を受ける病態。致死性が高く、救急の現場で
は極めて深刻な病態の一つである。

 血管の構造は臓器によって異なるため,グリコカリックスの構造も臓器ごとに観察する必要があります。腎臓や心臓に関してはグリコカリックスの画像撮影に成功した例がありましたが,肺は,肺胞を取り巻く毛細血管が極めて細く,グリコカリックスの層も薄いため,撮影が難しく成功例がありませんでした。
 撮影を成功させるためには,肺の血管にダメージを与えることなく試料を作ることが必須です。マウスを用いた実験で特に困難を極めたのが,肺に固定液を行き渡らせること。この段階でいつもグリコカリックスの層が剥がれてしまうため,適切な手法を見つけるまでに何度も失敗を繰り返しました。同じ研究室に所属する同期生や院生,岐阜薬科大学の院生などの知恵を借りながら実験を続け,マウスの右心耳(うしんじ)を切開し,血管の内圧を緩めること,固定液を流す速度を一定の低速に保つこと,頸動脈を縛り固定液をうまく肺へ導くことで課題をクリアすることができました。その後も試行錯誤しながらすべての段階で手法を確立していき,4年次の平成29年4月,ついに肺の血管内皮上にあるグリコカリックスの精細な画像撮影に成功したのです。前例がないため初めて画像を見たときは半信半疑でしたが,先生が喜ぶ様子を見て成功したという実感が湧きました。そして確認実験を繰り返し,論文の発表に十分な確証を得ることができました。
 医学誌「CHEST」に掲載されたこの画像を,今後ほかの研究者が活用し,肺のグリコカリックスの構造を視覚的に理解できれば,その遊離を防ぐ方法や,血管内皮障害をいち早く判別できるマーカー物質の発見につながる可能性があります。こうした大きな影響力のある成果を残せたことは,私自身,さらに研究を続けるモチベーションになりました。
 もともと私が医師を志したのは,母の病気を治療してくれた医師の姿を見て,患者だけでなくその家族まで幸せにできる仕事に魅力を感じたからです。卒業後は臨床の現場でそんな活躍を目指す一方,研究も続け,臨床と研究をつなぐ存在として医療に貢献したいと思っています。

走査型電子顕微鏡(SEM)による撮影画像
走査型電子顕微鏡(SEM)による撮影画像
試料表面で電子線を反射させて撮影したこの画像では、グリコカリッ
クスの3次元的な配置や構造が明らかになる。右側の画像でコケ状
(ブロッコリー状)に見える物質が、世界で初めて観察された、肺血
管内皮上のグリコカリックス。
透過型電子顕微鏡(TEM)による撮影画像
透過型電子顕微鏡(TEM)による撮影画像
試料を薄い切片にして撮影することで、2次元的ではあるが、組織内
部を観察できる。右側の画像では、ごく薄い血管内皮の上を、コケ状
(ブロッコリー状)のグリコカリックスが、生えるように覆っている
ことがわかる。


 指導教員の小倉教授は「学部生からこのような素晴らしい研究成果が出てとてもうれしく感じた。彼女の粘り強い姿勢がこの結果につながったのだろう」と稲川さんを評価。
 岡田講師は「稲川さんのように、学生たちは臆することなく研究に携わって発見する喜びをもっと身近に感じてほしい」と話す。
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岐阜大学医学部附属病院
高次救命治療センター長
岐阜大学大学院医学系研究科 救急・災害医学分野
小倉 真治 教授(左)

岐阜大学医学部附属病院
高次救命治療センター
岡田 英志 講師(右)

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