イヌの変性性脊髄症を研究し、神経難病の解明とその治療法の開発に挑む。
※掲載内容(役職名,学年など)は取材時のものです。(現在と内容が異なる場合があります。)
コーギーの飼育頭数増加を機に、イヌの変性性脊髄症例が一気に増加。
私は大学で獣医学を学んだ後,動物病院で約5年勤務し,その後フロリダ大学の大学院に留学しました。当初はCTやMRIなどの画像診断研究を行っていましたが,博士課程に進む段階でイヌの「変性性脊髄症(DM)※1」に興味を持ち,この分野の研究に取り組み始めました。
DMとは痛みを伴うことなくゆっくりと進行する脊髄の病気です。外傷や炎症といった原因がないまま,徐々に神経が衰えていきます。その症状は,後ろ足の麻痺から始まり,前足,首へと進行。最後には呼吸をする筋肉が弱くなり,死に至ります。
DMは元々,大型犬のシェパードなどに多く見られる病気でした。そのため,欧米に比べて大型犬の飼育数が少ない日本では,あまり問題視されず,病院で遭遇することも稀でした。ところが,DMは中型犬のコーギーでも発生頻度が高く,2000年代半ばからペットとして人気が高まると同時にDMの症例が増加。私が帰国した平成19 年にはコーギーのDMが問題となり始めていました。それまで症例数が少なかったため,国内にはDMを専門に研究する獣医師がいませんでした。そこで,DMを研究する私の存在を知り,多い時には全国から年間数100頭分の検査の依頼が来たこともありました。
DMで神経が減少するメカニズムは解明されておらず,治療法も見つかっていません。ただ,アメリカの研究グループにより,DMの原因となる遺伝子異常が発見されています。この遺伝子は,「スーパーオキシドジスムターゼ1(SOD1)※2」というタンパクを作りますが,遺伝子異常があると異常なSOD1タンパクが産生され,これが神経を痛めつけてDMを引き起こします。そもそもSOD1は細胞をストレスから守る抗酸化酵素で,変異型のSOD1タンパクも同様に抗酸化作用を発揮します。それなのになぜ神経を痛めつけるのかが謎であり,私たちはその仕組みを解き明かし,DMの根治療法を確立したいと考えています。
DM のメカニズムを解明し、ヒトの神経難病の治療にも繋げていきたい。
DMの原因となるSOD1遺伝子の変異は,ヒトの神経難病である「筋萎縮性側索硬化症(ALS)※3」を引き起こすことが分かっています。そのため,DMの仕組みが解明できれば,ALS患者を救うことにも繋がるかもしれません。ただ,大きな期待とは裏腹に,その解明は決して容易ではありません。
現在,DMを発症したイヌの病気の進行を記録し,保存した血液や組織を用いて研究を行っています。また同時に,研究室で培養した細胞に変異した犬の遺伝子を組み込み,異常なSOD1タンパクを細胞に作らせ,どのように神経細胞を攻撃していくのかを詳細に調べています。これらの研究を通じて,すでにDMの抑制に効果がありそうな物質をいくつか発見していますが,それでも実験室と生体とでは勝手が違います。ALSでも実験で効果が見られ,臨床での治験に進んだ例もありますが,確実に効くと言えるものはまだ見つかっていないのです。
ただ,私たちの研究は,マウスではなく,自然に病気を発症したイヌで効果を計れる点に優位性があると考えています。マウスよりもイヌの方が圧倒的にヒトに近く,実験室で意図的に発症させた病気とも違います。ALSを発症させたマウスの場合,数週間で死亡しますが,イヌのDMは長い歳月をかけて病気が進行するなど,ヒトのALSに近い条件で効果を判定できるのです。
今後はタンパクの構造解析を専門とする学内の先生方にご協力いただき,SOD1タンパクの3 次元構造解析に着手。病態解明に向けた研究を加速させていきます。また,治療研究も同時に進めていき,3 年以内には臨床試験に臨みたいです。そして将来的には,DMを克服し,ALS治療の突破口を見つけたいと思います。
つい先日も,私たちの研究に賛同し,DMで亡くなった愛犬を献体してくださった方がいました。研究を支えてくださる飼い主の方たちの期待に応えるためにも,できる限り早く病気を解明したいと思います。
【用語解説】
※1. 変性性脊髄症
(Degenerative Myelopathy)
ウェルシュ・コーギー・ペンブローグを中心
に国内で急増しているイヌの脊髄疾患。約
3年をかけて進行する。
※2. スーパーオキシドジスムターゼ1
(Superoxide Dismutase 1)
酸化ストレスから細胞を守る抗酸化酵素。変
異すると、DMやALSの原因遺伝子となること
が分かっている。
※3. 筋萎縮性側索硬化症
(Amyotrophic Lateral Sclerosis)
運動や呼吸に必要な筋肉が徐々に衰え、最終
的に呼吸筋が弱くなるため、人工呼吸器の装
着が必要となる。
イヌの変性性脊髄症(DM)の症状の進行
大学卒業後に勤務していた動物病院で,DMを発症したイヌを見て衝撃を受け,治療する手立てを見つけられないかという思いから,神志那先生の下で研究に取り組むことを決めました。現在はDMのメカニズムを解明するため,その原因となるSOD1タンパクの構造解析を進めています。
今後はこの研究を通じて獣医学,さらにはヒトの医療にも広く貢献したいです。
岐阜大学大学院連合獣医学研究科 獣医学専攻
獣医臨床放射線学研究室
臨床連合講座 博士課程 1年
木村 慎太郎 さん