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大学の国際化を一層進め,岐阜の人たちにお返しができる岐阜大学へ。

 7月10日(日),ぎふチャンテレビ番組「昭和がらくた劇場」に,森脇学長が出演しました。

 当番組は,「筋書きもない,台本もない」奇想天外な話題展開が特徴であり,毎回,ゲストを迎えて昭和を懐かしむ話を展開しながら,平成の世へのメッセージが発信されます。
 今回も,出演者のスーさん(杉山氏)とオカちゃん(オカダミノル氏)の息の合った掛け合いで進行され,森脇学長による本学の説明や思い出話等を交えながら,終始和やかな雰囲気で行われました。
 そのときの模様をまとめましたので、ぜひご覧ください。

【出演者】

  • スーさん:岐阜新聞社名誉会長・岐阜放送代表取締役会長 杉山 幹夫 氏
  • オカちゃん:オカダミノル 氏
  • 森脇学長

【収録の様子】
  ぎふチャンテレビ番組「昭和がらくた劇場」に森脇学長が出演します

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- 昭和20年7月9日を思い起こすスーさん -

オカちゃん:夏も本格的に近づいてきましたね。
スーさん:今日は7月10日ですね。昭和20年の1日前,7月9日には岐阜空襲で岐阜が焼土となりました。幸いにして私が当時住んでいた笠松に落ちた爆弾は無かったですが,すぐ近くで炎が広がったことを記憶しています。当時の市内電車は木造だったので,車輌が焼けて車輪だけ残りました。
オカちゃん:スーさんは,その頃は学生だったのですよね?
スーさん:僕は昭和20年3月に卒業したのですが,前年までは戦争のための勤労動員があって工場で働いたりしていましたね。
オカちゃん:学業もままならない時代だったのですね。
スーさん:高校生当時の私は東京のとある大学に憧れていましたが,戦争による空襲の関係で東海道線が動かなくなってしまい,また身を案ずる母の反対もあり,上京することはありませんでした。そしてしばらく住んでいたのが,京都の福知山でしたが,結局はふるさと岐阜の高等農林学校(後の岐阜大学)で学ぶこととなりました。
オカちゃん:岐阜での学生時代はどんな様子でしたか。
スーさん:今日はその頃の写真を持ってきましたよ。
オカちゃん:あれ,スーさんによく似た人が野球やっていますね。もしかして・・・。
スーさん:そうだよ。各務原市にあった学校(岐阜高等農林学校)の近くに陸軍のキャンプがありました。野球には道具が必要で,特にボールが無いと試合ができないが,当時は高くてなかなか購入できなかったのです。そこで私たちは進駐軍の練習の相手をしたりする中で,使い古しのボールをもらったりしました。そのうち,グローブやバット,最後にはユニホームを譲ってもらったりもしましたね。

オカちゃん:(当時の写真を眺めながら)ベーブルースの写真を見ているような気持ちですね。こちらの写真はスーさんの学生姿ですか。あれ,背後にはお酒のようなものがたくさん写っていますね。
スーさん:勉学に一生懸命取り組みましたよ。高等農林学校ということで,お酒を造ることも勉強の一つでした。ジャム作りやパン作りも経験しました。
オカちゃん:スーさんの凜々しい姿ですね。そういえば,スーさんの母校である岐阜高等農林学校の校舎は戦火には巻き込まれませんでしたか。
スーさん:幸いにして無事でした。大正ロマンを感じる良い校舎でした。

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- 森脇学長が登場、岐阜大学のルーツに迫る -

スーさん:さて,今日は実は,岐阜大学の森脇学長と待ち合わせをしています。
森脇学長:昭和がらくた劇場はこちらですか?
スーさん:ようこそ。オカちゃん,こちらが森脇学長です。
森脇学長:お邪魔します。
オカちゃん:ようこそおいで下さいました。手に持っていらっしゃるのはお土産ですか?
森脇学長:お土産ということで(笑)今日は岐阜大学の沿革をまとめてきました。
オカちゃん:なるほど。では,これに沿ってスーさんの青春時代に触れながら,昔を振り返ってみましょう。
森脇学長:岐阜大学の歴史は明治6年の師範研習学校に遡ります。岐阜大学という名前になったのは昭和24年です。こちらの古い写真に注目してください。この岐阜師範学校の二本の門柱は,今も岐阜市内の加納小学校の敷地内に残っています。

岐阜師範学校
岐阜高等農林学校

オカちゃん:かなり古い門柱が残っているのですね。おしゃれですね。
森脇学長:雰囲気のあるいい建物だと思います。
スーさん:大正ロマンを感じる格調高い木造の校舎,私の母校の岐阜高等農林学校の写真はこれですね。
森脇学長:岐阜県の高等教育の始まりは,岐阜師範学校と高等農林学校と考えて良いのではないかと思います。
スーさん:私が学生のころ,岐阜高等農林学校は新制大学になるにあたり,名古屋大学に吸収されるという話もあったと記憶しています。結構全国から学生が集まっていたので,名古屋大学に吸収されることに賛同する学生もいました。しかし,当時岐阜県知事になられた武藤嘉門さんが,「新制大学になったときに,この高等農林学校が岐阜県の高等教育の中核となる存在となる。決して吸収されてはならない」と力強く語られたのでした。
森脇学長:工学部の前身は昭和17年の県立高等工業学校,医学部の前身は昭和19年の県立女子医学専門学校です。その後合併などを経て,昭和27年に岐阜大学工学部となり,また私が卒業した医学部は,昭和39年に誕生しました。

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- 大学時代から岐阜で暮らし続ける森脇学長 -

オカちゃん:ところで,森脇学長は岐阜県の出身ですか?
森脇学長:兵庫県の三田(さんだ)出身です。初めて岐阜にきたのは,岐阜大学の入試のときでした。そのときは試験のことで頭がいっぱいでしたが,岐阜大学生となってこちらに来た時には,ずいぶんと都会だなという印象を受けました。百貨店が確か3つありました。
スーさん:新岐阜百貨店,丸物百貨店,山勝百貨店がありましたね。
オカちゃん:大学時代からは,ずっと岐阜にいらっしゃるのですか。
森脇学長:留学等で離れたことはありますが,基本的にはずっと岐阜で勉強させていただきました。臨床医として,県下の色々な場所にお邪魔する機会もありました。
オカちゃん:特に印象に残っている場所はありますか?
森脇学長:強いてあげるならば,神岡町と岩村町ですかね。まず神岡町は行ってみてびっくりしました。東京に通じるような,都会のセンスに溢れる素敵な街でした。
スーさん:鉱山の街として栄えていましたよね。
森脇学長:良い町には,町ごとにちゃんとお祭りがあったりして,素敵な文化があるように思います。また,鉱山の町は労働体制が幅広い時間帯にまたがっていることもあり,昼からおいしいお酒が味わえるお店がたくさんありましたね。これは神岡も岩村も同じですが,赴任に先だって挨拶に伺った時には,おいしいお酒と料理で歓迎会をしていただきました。とても暖かく受け入れていただいて,ありがたい気持ちでした。
スーさん:なるほど。神岡に岩村だと,おいしいお酒もいっぱいありますね。
オカちゃん:胸襟を開いて人間同士のお付き合いといった感じで素敵ですね。そういえば先生は,故郷である三田に戻るつもりはなかったのですか。
森脇学長:戻るという選択肢もあるにはありましたが,あまり考えなかったですね。このまま卒業した町で勉強を続けていこうと思い,今に至ります。振り返ってみれば,岐阜にいてよかったなぁとしみじみ思いますね。
オカちゃん:森脇先生は岐阜を愛する方ということが伝わってきます。
スーさん:本当に嬉しいですね。

オカちゃん:さて,このお店では来てくださった方のオーダーをいただいて,昭和の思い出のレコードを流しています。森脇先生のご希望はありますか?
森脇学長:昭和の思い出の曲と言えば・・・,太田裕美の『木綿のハンカチーフ』やキャンディーズの『微笑み返し』ですかね。
オカちゃん:では,今日はどちらをお流ししましょうか。
森脇学長:そうですね。キャンディーズでお願いします。

(3人で声を揃えて)それでは,ハリキッテドウゾ!

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- 国際化が進む岐阜大学と岐阜県 -

スーさん:少し話題を変えて良いですか。去年の11月,ベトナムから80人くらい,経済や行政に携わっている方が岐阜にいらっしゃいました。そして,今年の2月に設立された「岐阜・ベトナム友好協会」の初代会長を森脇学長にお願いし,5月には,私と森脇学長や古田岐阜県知事を含めて約10人で,ベトナムのハノイに行きました。森脇学長,そのときの話なども良ければ聴かせて下さい。
森脇学長:古き良き日本を思わせるような町並みでしたね。そして,ベトナムの方はとても勤勉だという印象を受けました。私たちのスケジュールは分刻みで組んで頂いていて,また内容についても,日本に対する期待や岐阜県に対する期待といったものを感じました。
スーさん:ベトナムから岐阜大学への留学生は何名ほど来ていますか?
森脇学長:昨年度の実績で,20名ほどです。岐阜大学全体で見ると中国からの留学生が多いですが,実は岐阜県はベトナム人留学生が多く学ぶ地域なのですよ。日本全体で数を見てみますと,中国人留学生が9万人でベトナム人留学生が2万人です。ところが岐阜県下で見てみると,中国人留学生が600人でベトナム人留学生が500人です。ベトナム人留学生の割合が非常に多いことがお分かりいただけると思います。詳しい理由は分かりませんが,今回のベトナム訪問で,岐阜県と肌合いが良いような印象を受けましたね。このあたりがポイントかもしれません。

オカちゃん:森脇学長は,岐阜を愛し,またベトナムとの友好の架け橋としても活躍されていることがよく分かりました。そんな学長の今後の展望をお聞かせ下さい。
森脇学長:その前に,一言だけよろしいですか。今日はスーさんの姿をみて,岐阜大学Tシャツを着て下さっていることに驚きました。私こそ着てくるべきだったのではないかと思うところですが,実はこれには理由があります。外国の学校だと,秋に入学し,この時期に修了するというパターンが多いです。そして今日,岐阜大学でも外国人留学生の修了のセレモニーがありまして,その名残でこのような格好でお邪魔することになりました。しかし,これは裏を返せば本学もかなり国際化が進んできたということだと思います。ベトナムとの更なる交流を深めることはもちろん,大学の国際化を一層進め,その成果をこの岐阜の地に還元したいと思っています。
スーさん:楽しみです。期待しています。
オカちゃん:それじゃあ今度は,ベトナム人留学生も一緒に連れて,また来て下さい。
森脇学長:お邪魔にならないのであれば是非と思いますが,大丈夫ですか?
スーさん・オカちゃん:なりませんよ!またのご来店をお待ちしています。
森脇学長:よろしくお願いします。ありがとうございました。

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