脳室を守る"糖のバリア"が老化や出血で壊れる仕組みを解明
脳内環境恒常性維持の新たな分子基盤を提示
岐阜大学大学院医学系研究科脳神経外科学分野の飯田知宏医師、出雲剛教授、腫瘍病理学分野の富田弘之准教授、救急・災害医学分野の岡田英志教授らのグループは、脳の空間(脳室)の壁である上衣細胞1)を覆う「グリコカリックス(Gcx)2)」という糖でできたバリアが、加齢や脳の出血によって壊れてしまうことを新たに発見しました。このバリアの崩壊は、病気の原因の一つである可能性や、新たな治療法を開発する上での重要なヒントになることを示唆しています。
脳室上衣細胞の頂端面を覆うGcxは、糖鎖に富む構造であり、脳脊髄液(CSF)の循環や脳内老廃物の排出、脳内恒常性の維持に関与すると考えられています。脳の老廃物排出システムは、アルツハイマー病や睡眠関連疾患との関連で近年注目されていますが、その詳細な構造や加齢・脳損傷による変化は十分に理解されていません。
本研究では、若年マウス、老齢マウス、脳室内出血(IVH)モデルマウスを用い、上衣Gcxの形態変化と糖鎖構成をランタン強調電子顕微鏡法および21種のレクチンを用いた二重免疫蛍光染色により包括的に解析しました。若年マウスではシアル酸3)やガラクトース残基に富むGcxが観察されましたが、老齢マウスでは顕著な菲薄化と剥離、終末シアル酸を含む糖鎖の減少が認められました。IVH後の炎症は若年群で3日目にピークを示しましたが、老齢群では7日目も炎症が持続していることが確認され、加齢に伴う上衣Gcxの脆弱化が、出血後の炎症遷延や修復遅延の一因となる可能性が示唆されました。さらに単一細胞RNA解析により、老齢上衣細胞でシアル酸付加酵素やO-型糖鎖4)合成酵素の発現低下、脱シアル化酵素NEU3の上昇、および加齢・炎症関連遺伝子群の誘導が確認されました。これらの結果は、上衣Gcxが加齢および出血により構造的・代謝的に破綻し、脳室周囲炎症や水頭症、神経変性の進行に寄与する可能性を示唆します。
本研究成果は、現地時間2025年11月7日にFluids and Barriers of the CNS誌のオンライン版で発表されました。
若年成体マウスと老齢マウスにおける上衣Gcx比較
本研究のポイント
- 脳の中にある空間(脳室)の壁を構成する上衣細胞の表面を覆う、糖でできたバリアであるグリコカリックス(Gcx)は、脳実質との間で特定の分子のみを通過させる境界構造として働く可能性が示されました。
- 脳の出血を再現した実験では、炎症が起こる過程で、この糖のバリアが薄くなったり剥がれ落ちたりして、脳を守る壁の表面が壊れてしまうことが観察されました。
- 老化したマウスでは、糖のバリアが薄くなり剥がれやすくなっており、脳の出血後に炎症がなかなか治まらないことが確認されました。さらに、細胞一つひとつを調べる最新の解析技術により、老化した細胞では、糖のバリアを作り出すための"遺伝子情報"が書き換えられてしまっていることが明らかになりました。
詳しい研究内容について
脳室を守る"糖のバリア"が老化や出血で壊れる仕組みを解明
ー 脳内環境恒常性維持の新たな分子基盤を提示 ー
論文情報
- 雑誌名:Fluids and Barriers of the CNS
- 論文名:Age Dependent and Post Intraventricular Hemorrhage Remodeling of the Ependymal Glycocalyx in Mice
- 著 者:Tomohiro Iida#, Kosuke Mori#, Hiroyuki Tomita*, Kazufumi Ohmura, Kohtaro Taguchi, Ayumi Niwa, Tomohiro Kanayama, Shigeyuki Sugie, Hideshi Okada*, Tsuyoshi Izumo, Akira Hara
- DOI:10.1186/s12987-025-00725-x
用語解説
- 1) 上衣細胞
脳室壁を裏打ちする一層の細胞層で頂端面には微絨毛や運動性繊毛を有する。脳実質と脳脊髄液の境界面を形成し、イオン輸送体やアクアポリンを介して水・電解質バランスを調節するとともに、CSFの対流を介して代謝老廃物の除去(glymphatic systemに関連)にも寄与する。 - 2) グリコカリックス(Gcx)
糖タンパク質・糖脂質・プロテオグリカンから構成される細胞表面の糖鎖層。陰性に帯電しており、物質の透過性制御や細胞間相互作用、シグナル伝達の調節など、多様な機能を担う。例えるなら、細胞にとっての「コート」のようなもので、外部の刺激から細胞を守り、必要な物質だけを取り込むフィルターの役割もします。 - 3) シアル酸(Sialic acid)
Gcxを構成する糖鎖の末端に位置する単糖で、カルボキシル基により陰性電荷を帯びる。細胞表面の電荷バリアを形成するほか、「自己」認識や免疫寛容の維持にも重要な役割を果たす。この物質が糖のバリアの表面にあることで、静電気の力で不要なものが近づくのを防いでいます。また、免疫細胞に「これは自分の細胞だから攻撃しないで」と伝える目印にもなっています。 - 4) O型糖鎖(O-glycan)
二大糖鎖(N型糖鎖およびO型糖鎖)の一つで、コアタンパク質のセリン(Ser)またはスレオニン(Thr)残基に付加される。構造によりCore1〜Core5に分類され、上衣細胞のGcxでは特にCore1構造の存在が確認されている。